ナンダ・コート スライド1 スライド4 スライド2 スライド3

登山計画書提出システムsangaku-entryなら誰でも簡単に登山計画書が提出できます。

ナンダ・コート

NandaKot_大蔵氏✕栗城氏170501

登山家、栗城史多氏 ナンダ・コートを想う

1936(昭和11)年、ヒマラヤの未踏峰「ナンダ・コート(6867m)」を征服した立教大学山岳部の若き学生達の夢を、大蔵喜福(64)、栗城史多(34)の2人の登山家がナンダ・コート初登頂80周年を記念して語り合った。 大

コメントなし
ベストセラー「神々の山嶺」の作家 「夢枕獏氏 ヒマラヤを語る」

「夢枕獏氏 ヒマラヤを語る」~ナンダ・コート初登頂80周年記念プロジェクト~

ナンダ・コート初登頂80周年記念事業実行委員会(代表幹事・毎日映画社)は5月28日、東京・品川の「大崎ブライトコアホール」にて作家、夢枕獏氏を招き、記念講演会を開催します。 ナンダ・コート(6867m)はヒマラヤ山脈に位

コメントなし
ベストセラー「神々の山嶺」の作家 「夢枕獏氏 ヒマラヤを語る」

ベストセラー「神々の山嶺」の作家 「夢枕獏氏 ヒマラヤを語る」

「ナンダ・コート」初登頂80 周年記念プロジェクト 8000m 級の高峰に挑む登山家 栗城史多、 ヒマラヤなどの山岳カメラマン門谷優の2 氏がゲスト出演を予定しています。 司会は今回、ナンダ・コート再登頂隊長の登山家、大

コメントなし
NandaKot_tent1_161110_w680px

第七話 ナンダ・コート6867メートルに刻んだ日本山岳史の「装備元年」

1936年夏に発行された大阪毎日新聞社の写真特集紙面「日曜グラフ」。「立教ヒマラヤ隊 零下五〇度を目標として考案された登山用具」の見出しで、日本初のヒマラヤ遠征隊「立教大学山岳部」の装備を紹介している。 写真に添えられた

コメントなし
写真は立教大学山岳部・堀田弥一隊長の装備。門田ピッケルがある=渡辺正和撮影、富山県立山博物館の資料より

第六話 立教大学山岳部と門田ピッケルと坂本龍馬

高知県の郷土史家、広谷喜十郎は、ヒマラヤにそびえるナンダ・コート(6867m)に特段の想いを抱いている。広谷は今年85歳を数える。土佐藩士の中には、明治維新ののちに北海道に入植し開拓に尽くした藩士が少なくない。広谷はそう

コメントなし
日印協会会報

第五話 遠征費集めに奔走 資金難に苦戦した登山隊

  立教大学山岳部部長で同大教授の辻荘一(1895~1987年)の文書が公益財団法人日印協会(東京都中央区)に残されていた。 日印協会は1903(明治36)年、大熊重信、渋沢栄一らによって組織され日本、インド両

コメントなし
ナンダコット講演会・東京日々新聞

第四話 青春を謳歌した佐渡山岳会とナンダ・コート

支援金を募る活動を開始した今月(3月)、本80周年記念事業実行委の一人、大蔵喜福の元に一通のメールが届いた。 メールに添付された集合写真には竹節作太が写っていた。 メールの主は新潟県佐渡市に在住する藤井与嗣明さん、68歳

コメントなし
nanda_kot

山頂に埋まる三旗(立教大学旗・毎日新聞社旗・日章旗)を探す登山隊の派遣

日本の登山家にとって「ヒマラヤはるかかなたの遠い存在で、空想の世界にのみあった」80年前、立教大学山岳部遠征隊(堀田弥一隊長)は、ドイツの山岳専門書などを手に入れ研究を重ね、ヒマラヤ山脈の未踏峰「ナンダ・コート(6867

コメントなし
BS11_10th

第三話 五千尺のフィルム 重さ11㎏の撮影カメラ

ナンダ・コート、6867m。1936年10月5日午後2時55分(日本時間午後5時55分)。 立大山岳部の堀田弥一隊長、山縣一雄、湯浅巌、浜野正男、特派員の竹節作太、そしてシェルパのアンツェリンの6人全員が山頂に立った。

コメントなし
ナンダ・コート②

第二話 ブリキ製の丸型フィルム缶4缶に詰まった熱情

35mmフィルムを保管していると知って駆け付けた東京・市ヶ谷の公益社団法人日本山岳会の会議室。8月4日午後1時半。真夏の昼下がりだと言うのに、クーラーの冷気ではなく、体に寒気を感じていた。 目の前におかれた35mmフィル

コメントなし

あわせて読みたいブログパーツ